以下,全てWIKIPEDIAからです。エピソードがおもしろいです。福山雅治みたいな性格のいいやつみたことがない,というような発言を今田耕治がしていたのを覚えています。その通りなのかもしれません。
- 長崎県長崎市出身。
- 私立宝珠幼稚園、長崎市立稲佐小学校、長崎市立淵中学校、長崎県立長崎工業高等学校卒業。
- 1987年 高校卒業後、18歳で上京する。当時は福生市に在住し、福生の横田基地近くの土木作業員となって、2tトラックに乗って木等を運んでいた。
- 1988年 「アミューズ・10ムービーズオーディション」に合格、映画『ほんの5g』で俳優デビュー。
- 1990年 シングル『追憶の雨の中』で歌手デビュー。
- 1991年 TBS系ドラマ『あしたがあるから』でテレビドラマデビュー。
- 1993年 シングル『MELODY』で第44回NHK紅白歌合戦に初出場。なおこの回が唯一の紅白出場である。
- 1995年 フジテレビ系ドラマ『いつかまた逢える』で初主演。
- 2000年 シドニー五輪、2004年のアテネ五輪でテレビ朝日のカメラマンとして活躍。
- 長崎から上京する時には、自分の本当の目標を周囲の人間に恥ずかしくて言えなかったので、古着屋になると言って出て来た。
- アミューズの先輩の桑田佳祐にはマサジと呼ばれる。ファンの中では桑田佳祐と並んで「下ネタの帝王」と呼ばれることもある。福山と桑田のそれぞれパーソナリティーのラジオ番組では下ネタや放送禁止スレスレの用語を連発している。アダルトビデオが大好きで、更に桑田の誕生日パーティー(所属事務所のアミューズの2003年実施)に福山が当時人気があったAV女優の及川奈央の二枚組みDVDを桑田にプレゼントしたと、後日『桑田佳祐のキヤノンFMワンダーランド 〜やさしい夜遊び〜』で桑田が暴露した。またAV友達の今田耕司とは時々ビデオの交換などをしている。ちなみに今田とは1992年に今田のラジオ番組にゲストとして招待されて以来の古い付き合いであり、1998年リリースのアルバム「SING A SONG」では今田が収録全曲のレビューを執筆した。
- 昔、酒に酔って自宅に帰る途中の道端に女性が倒れており、その(寝ていたらしい?)女性を背負って自宅まで連れ帰ったことがある。ちなみにその女性とは朝起きたときにわかめごはんを食べさせただけで、特になにもない。(HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMPにて本人談)
- 福山からオールナイトニッポン木曜1部を引き継いだナインティナインの岡村隆史(2学年下、1970年生まれ)は番組内では福山くんと呼んでいるが、本人と会った際は福山さんと言っている。
- また、上記のナインティナインの岡村隆史や加藤晴彦と同じマンションに住んでいたことがある。(通称:イケメンマンション)
- 音楽的には浜田省吾、サンハウス、THE MODS、A.R.B. らの影響を受けた。 ちなみに高校時代にA.R.B.に関しては大ファンだったようで同級生たちと組んでA.R.B.のコピーバンドをしていた程である。
- 福山自身も学生時代はラジオを愛聴していた。「プレゼントアワー」という、長崎のローカルAM放送局NBCラジオが日曜深
夜に放送していた中高生の必聴番組があった(現在では放送終了)のだが、福山もそのリスナーの一人だった。その番組内で「○○高校の△△部の□□君のこと
を教えてください」「☆☆君の情報ですが、1つ年下の彼女がいます」といった在学校名や実名をあげて個人の情報を依頼・提供し合うという、現在では考えら
れない、携帯電話はおろかポケットベルすら普及していなかった当時ならではの人気コーナーがあり、当時モテなかった(本人談)福山は自分の名前があがらないかと毎週楽しみに聴いていたが、結局高校を卒業するまで彼の名前が読み上げられることは一度もなかったらしい。 - 現在担当しているオールナイトニッポンも学生時代にはよく聴いていて、笑福亭鶴光がパーソナリティを務めた「笑福亭鶴光のオールナイトニッポン」
も聴いており、鶴光の巧みな「艶福ネタ」を好み、尊敬している。これはラジオの彼の話術にも影響を与えており、その甘いマスクのルックスに似合わず、自身
のラジオ番組では女性ファンもドン引きするような強烈な下ネタを連発、その気取らないバランスさが男性からも高い人気を維持している。 - 「かっこよくて気取った男」をラジオで演じる時もある。もちろん本気ではない。
- 同郷生まれのSHINJO(新庄剛志)と仲が良く、北海道日本ハムファイターズの試合を見に行ったこともある。2006年シーズンには福山の楽曲の美しき花(milk tea や あの夏も海も空も の場合もある)を登場曲として使用している。他にも、西川貴教や加藤晴彦とはプライベートでも仲が良い。小説家の内藤善弘とはデビュー当時から親交が深く、一緒に旅行したりもしている。
- 2000年に同じ事務所のサザンオールスターズが行い、後に伝説として語り継がれる「茅ヶ崎ライブ」では開演前の開会宣言を務めている。同ライブのMCで桑田は「福山が桜坂なんてあんないい曲を作詞出来るわけない。俺がマサジにファックスしたんだ」と発言して場内は爆笑だった。ちなみに彼は桑田佳祐の家でパーティーを行ったときにとてつもなく酔ってしまい、飾ってある皿を投げたりなどしたため桑田の家には立ち入り禁止らしい。(泉谷しげる談)
- 小学生のとき、ソフトボールをやっていたが、右肩を故障。しかしその経験からか、シドニー、アテネ五輪では取材を行った。
- 中学時代、卒業アルバム個人写真撮影時、本人は校則違反による謹慎処分中であったため、坊主頭での撮影を余儀なくされた。本人はそのアルバムを後輩等に見られることを嫌がっていたが、現在はたまにラジオでネタにしている。
- 福山自身は子供のころ、今のようにシンガーソングライターとしての成功は無理だと思っていたらしく、音楽の先生になりたかったらしいが、家庭の状況(金銭面)から断念した(福山雅治のオールナイトニッポンサタデースペシャル・魂のラジオで告白) 。ただ結果的には本稿記載のとおり夢が叶っている。
- 高校卒業後、しばらく一般企業に就職し、会社員をやっていたが、音楽への未練が断ち切れず、会社を辞め、単身上京した。(福山雅治のオールナイトニッポンサタデースペシャル・魂のラジオ内で告白)
- 上京するとき、夜行列車(さくら)の中でお金を盗まれないように靴下の中に20万円を入れて上京した。そのため、東京に着いたときには、その20万円はしっとりと濡れていたという。ちなみに彼はこれで半年間生活できると思っていた。
- 上京したての頃、本人はかなり頑張って標準語を喋っているつもりだったがイントネーションがおかしかったらしく、ついたあだ名は「長崎くん」。
- デビュー当時のキャッチフレーズは「イナカモンばい」
- 8月20日はパン・ツ・ゼロということでノーパンの日であるという。夏にノーパンだと気持ちいいらしい。ライヴにもよくノーパンで登場するらしい。
- 女性の好きな有名人アンケートにおいて必ずといっていいほど上位にランクされている。このことから、島田紳助は芸恋リアルで、「日本の女性は福山雅治に支配されている」と発言していた。
- 下着メーカー「トリンプ・インターナショナル・ジャパン株式会社」が2005年に行った「ホワイトデーに関するアンケート」で「ホワイトデーに下着を贈られたい男性有名人は?」という質問で第1位、また「自分の下着を一緒に買いに行きたい男性有名人は?」という質問で第3位に選ばれた。
- 2006年に表紙を飾った雑誌「anan」のインタビューで40歳前に結婚すると発言している。
- 1993年に出演したドラマ「ひとつ屋根の下」でのセリフ「あんちゃん」や「小雪ぃ・・・」は放送から10年以上経った今でもプロアマ問わずモノマネされている。
- 1988年8月15日、新宿のライブハウスで、東京での初ライブ。観客はゼロだった。
- 昔ライブ中にズボンのチャックが開いていてそこから下に着ていたTシャツがビートを刻む度にとびだすという事件があった。
- ドラマ「美女か野獣」の撮影中に風邪を引いて以来、煙草は吸ってない。それ以来、飲酒の量も減ったという。
- 購入したばかりのパンツよりも、使い古してヨレヨレになったパンツのほうが好きらしい。(福山雅治のオールナイトニッポンサタデースペシャル・魂のラジオにて本人談)
- 実兄は自衛隊員(陸上自衛隊所属)
- 「年齢」「東京に出てきた年(18歳)」「デビュー日(1990/3/21)」「所属事務所(アミューズ)」が全てBEGINと同じ。そのためかBEGINとの共演の際には「BEGINの4人目」と自称する事がある。
- 大のバイク好きとして知られ、福山エンヂニアリングの番組内でホンダ・ドリームCB400FOURを購入し、テリー伊藤や伊藤英明と一緒にツーリングへ行くなどしており、バイクチーム「有楽町crazy horse」を私設している。
- 今でもスタジオミュージシャンに強い憧れを持っている。
- ルー大柴のファンである「ルーマニア」だと公言している。ルーも福山のことを「弟分」と言っている。ルーとは、福山がブレイクする前にラジオ番組で共演し、アドバイスを受けたりした。(『サンデージャポン』より)
- 同郷の先輩であるさだまさしに対しては敬意を払っており。言及するときはほぼ必ず「偉大なる」と付けている。
